入社した頃の上司の話
ここ最近、キョンキョンにしろ有賀さんにしろ52歳の先輩達(学年でいうと僕の一個上)が話題になってますね。
有賀さんのニュースはとてもびっくりしましたし、切なくなりました。
心よりご冥福をお祈りします。
有賀さんも僕も入社はいわゆるバブル期なわけですが、あれからもう30年近く経つだけあって、入社した頃の上司や先輩、取引先の方の訃報が増えてきてますね。
この先10年くらいの内に、両親や親戚、愛猫も含めて多くの方とお別れをしなきゃいけなくなるよって、中学生の娘に言った事があるのですが、口に出す事であらためて自分でも気づかされました。
そんな事を考えていたら、入社した頃の上司の逸話を思い出しました。
細かい事は書けないですが、ウチの会社は自動車関係で、有名なパリダカラリーにもチームとして出ていた事があります。
その上司、Mさんのパリダカにまつわる逸話。
Mさんはエンジニアとしてパリダカに参戦していました。
パリダカは、パリからアフリカのダカールまでの長距離で競う自動車競技なんですが、長距離なので途中途中でビバークをしながら数日をかけて移動します。
とあるビバーク地での出来事です。
その場所は、あまり裕福ではない集落で、ラリーで外国から来たレースチームに、多くの子供達がいろいろねだりに来るんだそうです。
戦後の日本のギブミーチョコレートみたいなもんですかね。
各チームも相手にせず、無視するか追い払うのが当たり前で、Mさんも他チームから、追い払うように言われていたそうです。
そして、Mさんのチームがその集落に入ったところで、案の定、子供達がねだりに来ました。
Mさんは、言われていた通り追い払おうと、大きな声で叫びました。
『レッツゴー!』
…?
『あっち行け』じゃなくて?
『レッツゴー』?…『さあ行こう』?
それを聞いた子供達が、喜んでワラワラと集まってきて、Mさんの後をブレーメンの音楽隊のようにいつまでもついて行ったそうです。
Mさんはその後パリダカには行かなくなったのですが、
その話はパリダカチームの間に広まっていて、パリダカに来る日本人は他国の各チームから『レッツゴーMさんは元気か?』と、しばらくの間聞かれていたそうです。
いろいろな逸話を持つMさんですが、元気にしてるかなあ